ないものねだり

だって、ないんだもの

無痛

刺された。かなり深い。

心拍数が上がり、心臓の鼓動が頭蓋骨を力強く叩いている。体は硬直してしまい、動かない。少し正気を取り戻し始めた時は、上がった血圧によるものなのか、硬直して動かせない手足の感覚がひどく鋭敏に感じられた。そんな手先で、恐る恐る刺された場所を探す。だが、そんな箇所は見つからない。気休めに心臓のあたりや、喉仏から鎖骨にかけて、その形をなぞる。

ふと、指に響く脈と喉に響く脈のタイミングに、若干のズレを感じられるくらいには冷静になる。刺された場所は分からない。ただ、私を刺したものは鮮明に何か分かっている。見てしまったから。見るつもりは一切なかった。たまたまだった。冷静になればなるほど、私を刺したものへの恐怖が増幅する。もう、見たくも聞きたくもない。それなのに、私の脳は否が応でもそれを何度も映し出し、叫び、なぞり、反芻する。

「ーーー、ーー」

その言葉に刺された私の世界は、出る筈もない血で赤黒く染め上げられていく。私は、私である事をやめる以外に、それの抜き方を知らない。

 

15フンゴト−3

「違う、そうじゃない」

私が何者かというのは、哲学的に考えたかったわけでなく、私の、例えば、生物学的な特徴はなんだろうかという事である。そういう意味で、私が認識したら私であると納得するのは、少し怠慢である様に感じる。というのも、私自身の物質的詳細は無視している気がするからである。

「どうしたものか」

全くといって、手がかりがない。自らの姿形を外から観察できればと思うが、どうやったらいいか全く分からない。一先ず、周りを見渡すが、やはり、先ほどから上下左右前後を各々の速さと方向に通り過ぎる奴らばかりで何もヒントはない。ヤケクソになり、声を出し続ける事にした。

「おい」

一回うまくいかなかったらといって、永遠にうまくいかないわけではないだろう。私は、ひたすら声をかけ続けた。

「ピッ」

どこかで、聞き覚えのない音と共に不可解な圧を感じた。

一人遊び

私は回った。回り続けた。

 

初めの内は、誰かに助けてもらったのを覚えている。その人は気づいたらもういなかったけど、私は回って、回って、回り続けた。ただ、それが楽しかった。

知らない内に、近くに私よりも図体の大きなやつが回っていた。そいつは隙があれば、体をぶつけてきた。私も負けじと体を思いきりぶつけたが、全く歯が立たなかった。すぐに角に追いやられた。

 

それでも負けじと端で回っていると、少し遠くにとても綺麗な模様で回っているやつがいる。そういえば、私はどんな見た目なのだろうか。今まで、気にもした事がなかった。そんな事を考えていると、その極彩色の模様をこれでもかと見せびらかすように、それは近づいて来た。それは、私の周りをグルグル、グルグルと回った。初めは鮮やかだと思った模様も、こうも執拗に見せられると目が回ってくる。そいつを押し除けようとした時、目の前に地味な見た目のやつが現れた。

気がつくと、地味なやつの他に極彩色のそれと瓜二つのやつが増えていた。初めの内は分からなかったが、二つの極彩色のそれらはとても息があっているように見えた。それに比べて、この地味なやつはなんだ。模様もほとんど見えない。どちらかというと、黒いモヤがかかっている様に見える。汚らしい。回り方もなんだか不器用に見えた。そんなやつと関わると自分も見窄らしくなると思い、そいつの方を振り向きもせず、その場を一目散に離れた。

 

やっとの思いで大分遠くにこれたのに、みすぼらしいそいつはいつまでもついてきた。悪態をつきながら、どうにかそいつを追い払おうとぶつかろうとすると、そいつもぶつかりにきた。初めの内は互角だったが、途中から私が痛がると、そいつも痛がった。そんな事をしていた最中、後ろから感じた事がない程の質量が物理的にも、精神的にも、私を遥か彼方へ突き飛ばした。

 

気がつくと、私は、もう回っていない様子だった。少し体を揺らすと、目端に初めに出会った図体のでかいやつが自慢げに躍り狂っているのが見えた。回っている勢いは先ほど見た時とは比べ物にならなかった。

なんだよこれ。なにも楽しくない。ふざけるなよ。自信過剰の極彩色には驕慢な態度を取られ、見窄らしい奴には付き纏われる。挙げ句の果てには、いきなり後ろから突き飛ばされる。一人にしてほしい。私を独りにしてほしい。

 

ただ、そうはさせてくれなかった。その人が来た。その人は私を持ち上げるや否や、私に角運動量と運動量の両方を十二分に与え、図体のでかい奴の方へ投げ飛ばした。私は、数秒間、宙を舞ってから、図体のでかいやつの上部に激突した。そいつは明らかに大きく狼狽していた。あんなに踊り狂っていたそいつの体の軸は、左右の揺れを徐々に大きくしながら、私の周りを大きく一周した。一周し終わろうとした瞬間、その体は回転軌道から外れ、そのまま奥の壁に直線的に激突した。恐る恐る近づいてみると、図体のでかいそいつは枯れかけの雑草のように力なく揺れていた。

初めの内は胸がすくような気分だった。ほらみろ。天罰だ。正確に言うと、私が報復した形だが。ただ、なぜか私自身はあまりいい気分ではなかった。理由は分かった気がする。より正確に先程のことを思い起こすと、その人がそうするように仕向けたのだ。私ではない。私はなにもやっていない。悪いのはその人だ。その人が私を投げ飛ばし、図体のでかいやつにぶつけたのだ。

 

ある事に気づいた。もしや、今までの出来事は全て、その人のせいなのではないか。私は、なにもしていない。おそらく、図体のでかいやつが私を突き飛ばしたのも、極彩色が執拗に見せびらかしてきたのも、その人のせいだ。それなら、許してやるか。しようがないことだ。みんなには、自我がないんだ。なんと可哀想に。本当に哀れだな。

 

そんな思考からふと解放されると、目の前に例の見窄らしいやつが現れた。そいつが見窄らしいのもその人のせいなのかもしれない。そう考えると、少し可哀想に思えてきた。慰めてやろうと近づくとそいつも近づいてきた。少し先の小さな段差に気づかず、そのままつまづいてしまった。危うく転けるところだったが、意外に問題なく、私は回り続けている。ただ、つまづいた時にそいつもつまづいていた事に気づいた。ここまで行動を真似されると、腹立たしいを通り越して不思議になる。いくつか試してみる事にした。左右に傾く。そいつも左右に傾く。その場から少し離れる。そいつも少し離れる。

 

私だ。

 

そいつは、私なんだ。私が見窄らしいという事実へのやるせない感情が湧き上がる。だが、それ以上に名前の知らない感情が押し寄せてくる。私が見窄らしいから、極彩色のそれらは高慢ちきだったのか。私が汚らしいから、図体のでかいやつは私を突き飛ばしたのか。私が哀れだから、その人は私を投げ飛ばし、激突させたのか。

 

でも、でも。

貧相でも、粗末でも、それでも、それはその人の所為ではないのか。

 

なぜ、なぜ。

その人の所為なのに、それではなぜ私が。

 

私は、私は。

 

「夕飯よー。早く片付けて、降りてきなさい!」

「はいはーい」

「はい、は一回!」

彼は、転がっているそれらを拾い上げ、箱の中に乱暴に投げ入れた。一番古そうな一つを除いて。

「また、それ持ってきたの?ご飯には関係ないんだから、置いてきなさいって言ってるでしょ」

「いいじゃん。一番かっこいいだもん」

そう言うと、夕飯の食器が並んでいる水玉模様のランチョンマットの端に、それを誇らしげに並べた。

 

結果として

生きているか、生きていないかなんて、正直どうでもいい。もちろん生きていないと色々な事ができないし、自分がやりたいこともできない。ただ、「今、これをしてみたい」と思っていても、それをできないで生きているなんて、死んでいるのと同じで。それだったら。

 

だから、私は結果的に生きている、という人生を歩みたい。

あの人はいう。

「これしないと、失敗するよ」

その人はいう。

「あれ、まだ出来ていないの?」

この人は。

 

おそらく、他人や社会はどこまでも、色とりどりのメッキで色付いた檻の中に、私を入れたがるだろう。檻に入れて、彼らの作法を強制する。檻に入り切らなければ、徹底的に存在も、存在の痕跡も排除しようとしてくるだろう。私は、そんな社会の存在すらも私の行動の結果にし、私の人生の先頭は私だけが歩く事に拘っていこうと思う。

私が生きていたら、あなたとすれ違うかもしれない。その時は、どうか優しく放っておいてほしい。

15フンゴト−2

「あいつら、そもそも何者だ」

勝手に他人だと思い、つまり、私と同種だと勘違いしていた。いや、勘違いかどうかもまだ分からない。そもそも、奴らが私と似た存在で、私と同じ言語を話すとは限らない。

あぁ、なるほど。また、驕ってしまったわけだ。私は何と傲慢なのだ。まぁいい。誰にだって間違いはある。それを直していけばいいのであるから。

さて、どうしたものか。仮に、彼らが私と全く異なる存在だったとしよう。私はどうやって私を理解しよう。そもそも、私を私として知覚するのはどうしたら良いのか。

「確か」

私はどこにあったかも分からない記憶を引っ張り出す。

「そういえば誰かが言っていたな。我ゆえに我あり。」

私は私であると思っているから、それでいいのか。私が私自身を私であると思えば、そうなのか。何と、神になった気分である。いつぞやの誰かは「神は死んだ」とほざいていたが、神は死んでいなかった。

「私は神だ」

あぁ、また、驕ってしまった。

 

 

15フンゴト−1

右手に持ったガラスのコップには飲み終えた炭酸の泡が奇跡的に残っている。それにも構わず、左手で蛇口の取手を押し上げ、そこから勢いよく流れ出る水とその中の新たな泡にかき消されるのであった。

 

私はどこで生まれたのかも分からない。気がついたらここにいた。周りに私と似た様なもの達が私を通り越していく。初めの内は必死になって呼びかけていたものの、ほとんどのものが私に見向きもしないので、もう諦めた。

「なんて薄情な奴らだ。他人なんて所詮他人だ。」

ならばいっその事、他人は気にしない様にしよう。ただ、これから話しかけてくれる人を無視するのも大人げがないから、来る人拒まず去る人追わずでいこうと心に決める。

「ふむ」

私は、少し自責の念にかられていた。というのも、こちらの思い通りになると多少なりとも驕っていたのであろう。ただ、ふと思う。

「あいつらは何者だ」

 

 

 

 

ヨクフカ

ああすればうまくいくだろう、という事は感覚でわかる時がある。

 

今までの人生で培った感というやつだ。ただ、得てして自分のやりたい事とそれが一致する事は、なかなか無い。少し格好をつけて、何があってもこれをやるんだと、気概を持つ。確固たるものである、その刹那は。しかし、そんな時に限って、結果を出さなくてはと焦ってしまう。焦ってしまうと、あれもこれもと意識が散漫し、しなくてはいけない事が頭上を行き来するだけで、その日が終わってしまう。

 

そんな時、私は考えてしまう、「人生、めんどくさい」と。なぜ、こんな事しているのか、いつからこうしようと思ったのか、他の道は無かったのか、やはり、あの時の直感に従っておけば良かったのか等、自問自答してしまう。しかし、どのみち、同じ様な局面に当たっているだろうと思うと、まぁ仕方ないかと思う。仕方ないかと思っていても、「めんどくさい」と思ってしまった後味が残っている為、何をする気にもなれない。「ああ、めんどくさい」し、面白くない。

 

すると、目先の楽しい方へ意識が向く。おお、これは面白い。あれも、良いな。だが、満たされないと感じる。そう思うのは、「めんどくさい」がこころを占有していたからであろう。浮気は許されない。「めんどくさい」を誘起した事象を片付けない限り、死ぬまで付いてくる。だから、「人生、めんどくさい」のである。

 

もちろん、心の底から興味深いと感じるモノに出会うこともある。すると、元々やろうとしていた事は、一度は気概を持つほどのやりたい事なので、それも含めると、自分のやりたい事が増えていく。結局、あれもしたい、これもしたい、と思う様になる。だが、時間がない。優先順位をつけなくてはいけない。つけると、他の楽しいモノは一生できないのでは。ああ、時間がない。人生は短すぎる。ああ、「人生、めんどくさい」。

 

ただ、良く良く考えてみると、一番初めの「焦り」が全ての元凶の様に思う。なぜ、焦ってしまうのか。結果を出したいから、が本質ではない様に思う。上手く行かなかったら、何もないと考えてしまう。だから、怖い。さらに、自分がひどく惨めだと思ってしまう。それは、自らができなかった事からでもあり、他人からも仕様がない人間だと見られてしまうと思うからでもある。言い換えれば、自分がやりたいと思った事が上手くいって欲しい、ずっと好きなことをしていたい、ただ他人からも見下されたくないと言っているのである。

 

何と、駄々を捏ねているだけではないか。私、欲が深い。